第6話 MNKについて TYPE 俺

例えば某140字の青い鳥文庫を読んで、
自身とそれほど年齢が変わらなかったり、寧ろ年下であったり、
そんな人が本当に凄い事を達成したら思うことがある。

「はぁ、僕も『努力』をしないとなぁ」

当然、『努力』は素晴らしいと思う。 
私自身も嫌いじゃないし、出来るようになりたい。 
しかし、どうしても「面倒臭い」という思いが勝って、 
結局私は何もせず仕舞いである。


 『努力』について、ある成功者はこう語る。 

"練習は嘘をつかないって言葉があるけど、
頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。" 

まぁこの文では「練習」というワードであるけど、
 「無駄な努力」と言うワードがある事を考えてみれば、 
それを『努力』に置き換えても同じことが言えそうだ。 


どうも私の悪い癖の一つとして、 
「すぐに結果を出したがる」 
というのがあるのだが、
今まで正しい努力』 をしてこなかったのには 
この癖と第5話でも語った逃げ癖が関係している気がする。 


努力をして、それが『正しい努力』だという結果に至るには、 
当然、その結果までに「失敗を伴う試行錯誤」が大抵必要となるだろう。

しかしながら、
 「失敗から逃げ」、それでいて「すぐに(個人的には)いい結果が出る」なら 、
したところで100%いい結果が出る訳でもないなら、 
「別に努力しなくてもなんとかなる」というすぐ分かる結果に甘んじてしまいうる。 
実際、私はそうなってしまった。 

いつからこの感覚を手に入れてしまったのかは分からないけれど、 
その感覚に甘えていたツケが最近一気に来ている気がする。 
これは心の合図なのかもしれない。 
やはりこのままではダメだ。変わらなきゃ。 


特に身近な人が多かれ少なかれそんな『努力』をちゃんとしてきたのを見るたびに 
「M (もう) N (なんも) K (かてへん)」 
とただひたすらに羨望の眼差しを向ける事しか出来ず、
それで差をつけられて、自己嫌悪に落ちる事が多かったように思う。 

そう言う意味では、ただ「かてない」と嘆き、羨むのではなく、 
「M (まだ) N (なにか) K (かわれる)」 
と、試行錯誤していけるような心を創っていくべきなのかもしれない。 


今日のブログは自戒の意を込めて。