第60話 無題

新しく人と出会う中で、極力自分の話をしたくないものが1つある。

それは「どこの大学に行っていたか」である。

相手がしてくれる分には全く問題はない。

むしろ「どんな勉強をしていたのかな」と、興味が持てるくらいである。

 

では、なぜ自分の大学の話をしたくないのか。

それは至極単純で、言ったときに反応として返ってくる

「すごいじゃないですか!」「勉強頑張ったんですね!」

というワードが自分にグサリと突き刺さるからだ。

 

 

はっきりと言う。

僕は凄くもないし、勉強を頑張った覚えもない。

 

 

こんなことを言うと

「謙遜している」「卑下し過ぎ」

と言われるが、僕はこれにもウンザリする。

 

なぜなら、本当に「頑張っていた」のならば、本当に「すごい人」ならば、

浪人してなかっただろうし、大学の学部も第1志望で通っていただろう。

就職活動も本当に働きたい職種についていただろう。

たられば、の話には意味はないけれども。

 

高校時代も再テストを受け、授業中は爆睡し、

塾に通わせてもらうも、第1志望に落ち、

予備校に通わせてもらうも、寝坊や遅刻の常習犯。

大学でもだらけて単位を落としまくる始末。

 

このようなやつのどこが「偉い」のだろうか?

どこが「勉強を頑張った」のだろうか?

むしろ、その対極の

「環境に甘えて、何もしてこなったクソ野郎」

ではないか。

 

しかも、クソ野郎と言いつつもこの環境が心地よいから、

努力して抜け出そうともしない。

だから、僕は基本自己評価は下の下である。

むしろこれでどうやって高い自己評価をしろと言うのか。

 

 

とはいえ、素直に「ありがとう」といえばいいのでは?と言う人もいるだろう。

尤もである。むしろ、そうすることで肯定感が上がるとも言う。

ただどうも形だけでも「頑張っている」と言うことが認められないのである。

なぜなら、本当に頑張っている人に失礼だからである。

「頑張っている」と言うのも烏滸がましいのが、自分なのだ。

 

 

このように自分の中の「事実を見た評価」と

他の人から「表面だけを見た適当な評価」の乖離が

僕を非常にイライラさせる。

だから僕は大学の話はしたくないのだ。

 

 

どうでもいい話で、大切な時間を潰す。

それが僕なのだ。