第60話 無題

新しく人と出会う中で、極力自分の話をしたくないものが1つある。

それは「どこの大学に行っていたか」である。

相手がしてくれる分には全く問題はない。

むしろ「どんな勉強をしていたのかな」と、興味が持てるくらいである。

 

では、なぜ自分の大学の話をしたくないのか。

それは至極単純で、言ったときに反応として返ってくる

「すごいじゃないですか!」「勉強頑張ったんですね!」

というワードが自分にグサリと突き刺さるからだ。

 

 

はっきりと言う。

僕は凄くもないし、勉強を頑張った覚えもない。

 

 

こんなことを言うと

「謙遜している」「卑下し過ぎ」

と言われるが、僕はこれにもウンザリする。

 

なぜなら、本当に「頑張っていた」のならば、本当に「すごい人」ならば、

浪人してなかっただろうし、大学の学部も第1志望で通っていただろう。

就職活動も本当に働きたい職種についていただろう。

たられば、の話には意味はないけれども。

 

高校時代も再テストを受け、授業中は爆睡し、

塾に通わせてもらうも、第1志望に落ち、

予備校に通わせてもらうも、寝坊や遅刻の常習犯。

大学でもだらけて単位を落としまくる始末。

 

このようなやつのどこが「偉い」のだろうか?

どこが「勉強を頑張った」のだろうか?

むしろ、その対極の

「環境に甘えて、何もしてこなったクソ野郎」

ではないか。

 

しかも、クソ野郎と言いつつもこの環境が心地よいから、

努力して抜け出そうともしない。

だから、僕は基本自己評価は下の下である。

むしろこれでどうやって高い自己評価をしろと言うのか。

 

 

とはいえ、素直に「ありがとう」といえばいいのでは?と言う人もいるだろう。

尤もである。むしろ、そうすることで肯定感が上がるとも言う。

ただどうも形だけでも「頑張っている」と言うことが認められないのである。

なぜなら、本当に頑張っている人に失礼だからである。

「頑張っている」と言うのも烏滸がましいのが、自分なのだ。

 

 

このように自分の中の「事実を見た評価」と

他の人から「表面だけを見た適当な評価」の乖離が

僕を非常にイライラさせる。

だから僕は大学の話はしたくないのだ。

 

 

どうでもいい話で、大切な時間を潰す。

それが僕なのだ。

 

 

第59話 京都の29時が過ぎてゆく

ふとした拍子に僕は自身の置かれている現実を直視しようと試みるのです。

でも今のところ、全敗中です。見ようとすればするほど辛くなっちゃう。

本来はそういうものでありながらも、辛いのは嫌だから、逃避しちゃう。

そして、どんどん現実に敵わなくなってしまうのです。

 

「理想の自分を描くと良いよ!」だなんて言われることがありますが、

僕の理想が高すぎるのか、今の僕とその理想がかけ離れていて、

今から頑張ったとて、その溝が埋められない気しかしなくて、

ああ、もう手遅れだ。そのように感じることが常になりました。

 

早くから直視して行動しておけばよかったのにね。

後悔先に立たずとはまさにこのことです。

でもいつも行動できないんですよね。

何故って?面倒くさいからですよ。

 

 

僕ははっきり言って自分の将来にあまり興味はありません。

明日、仮に目覚めなくても別にそれはそれでいいのです。

だから、朝起きたというだけの理由で毎日を過ごす結果になっています。

まあこれも正直なところ、将来を考えるのが面倒くさいだけなんでしょうね。

 

ここまでの人生から帰納的に明日も生きていそうな気がするので、

じゃあ生きているのであれば、ある程度自身の理想に近い状態でありたいと、

僕は欲張ってしまうのです。過去の人生を直視しようとしないのです。

特に「稼ぐ能力」的なところで欲張ってしまいがちです。

 

稼いだところで、何かに使いたいという欲があるわけではないのですが、

上を見てしまって、そのラインに近づきたいという欲があるようなのです。

かと言って明確なラインがあるわけじゃないんですけども。

現実ではどれくらいが相場なのかを知っているわけでもないんですけども。

 

 

そこで「自身の能力」という現実を見た時に、

どう考えてもそのラインに立てるほどの能力がないことに気づいてしまいました。

かと言って能力を向上させたり、新たに能力を得ようとしたりしない自分がいて。

だからこそもう「手遅れ」だって思ってしまうのです。

 

僕が面倒くさがりでなければ、その先には薔薇色の人生が待っていたのでしょうか?

面倒くさがりという性格はもうどうすることもできないのでしょうか?

でも仮に今この厄介な性格をどうにかすることができれば、

もしかしたら薔薇色のルートに進めるのじゃないか。そんな淡い期待もあります。

 

人生を舐めすぎだとは分かっているものの、

薔薇色の人生を送るには、もはや外部的要因に頼るしかない気がしています。

もう少し「死」を強く認識する事案に遭遇するか、

「面倒くさがり」でなくなる薬にであうかなど。

 

いっそのことこんな淡い期待なんて無くなってしまえばいい。

そう思うこともありますが、自分ではどうしようもできないので、

この淡い期待に縋らざるを得ないのも事実です。

どちらにせよ、その後のことを考えるだなんて面倒臭すぎますが。

 

僕はどうすればいいんでしょうか。

 

 

僕の舐め腐った思考をぶつけてみました。

朝からバイトがあるのに、どうも眠れず。

答えの分かりきっている問の答えを無理やりねじ込んでいたら、

京都の29時は過ぎていきましたとさ。

第58話 宇合ちゃんは遊びたい!

今日は桂の日。

いつも通り桂に行って、いつも通りパソコンなどと格闘して、そして帰る。

そんな日が続いています。

 

おかげさまで、修士を卒業した後の進路も決まり、

後は論文を書くだけとなりました。

それが難しいんだけどね。

 

そんな中、最近は特に、

「自身の将来について」

考えたり、話したりする機会が増えました。

 

さて僕は一体何がしたいのでしょうか?

 

当然某活の中で聞かれることも多かった訳ですが、

それは曖昧な考えにそれらしい理由を塗りたくったものでしかありませんでした。

本当にそれがしたいの?と言われたら、「別に…」というぐらいのことです。

 

正直なところ、漠然と「やりたいことに近しい」とは思っていましたが、

なんだか理由の大半は「某活が楽そう」という考えが占めていた気もします。

結局僕は某活も頑張れませんでした。楽な方向に行ってしまいました。

 

これは一種の諦めに由来するものなのか、

それともただの楽観視に由来するものなのか。

それは未だにわかりません。ただ今の環境に甘えているだけな気もします。

 

 

じゃあしたい事が何もないのか、と言われれば、

実はそうでもなくて、曖昧な答えはあります。

「Interesting なことがしたい」ただそれだけです。

 

世の中には興味深い物事がいっぱいあるように思えます。

特に僕の中では周りで「誰もやったことがない」「やる人が少ない」ことが

その対象になっていることが多いのです。

 

例えば、YouTubeチャンネルを持ってみたり、

ロードバイクを買ってみたり、

VR機器を購入してみたり。

 

上記の物事は実際にやってみたことです。

ただ僕の悪い癖で、やったらやったで「こんなもんか」と、

3日坊主で終わることがしばしば。興味が一気に薄れます。

 

長続きさせたいな、とは思うものの、

結局は他のやってみたいことに目移りしがちなのです。

正直なことを言うと、興味のあることはたくさんあります。

 

ただその行為がそもそも違法であったり、面倒だったり、

世間的な意味で印象が良くないので人目を気にしてできなかったり、

精神的、肉体的な痛みや苦しみが嫌いだったりするので実現はしていませんが。

 

とは言うものの、「人目を気にして」できないのは

なんだか勿体ないとは内心思っています。

なので誰か一緒にやりませんか?

 

 

ここまでつらつらと書いてはきましたが、

結局はやりたいことも「本当にしたい」ことじゃなくて

やらず仕舞いで終わってしまうような気がします。

 

はてさて僕が「本当にしたい」ことってなんなのでしょうか?

何も考えずに物事が思うように進んでくれたらそれでいいのですが、

そうはうまく行かないのが人生。こうして僕はつまらない人になるのです。

 

今日の桂で吹く風は

いつもより強くて、冷たく感じました。

(多分これは天気のせい)

第57話 『エモい』という、えも言われぬ感情

今日も相変わらずバイトが暇です。

特に日曜の午後なんて基本何もすることがなくて、

ただ思惟に耽るのみであります。

 

そんな中ただSNSを見てるだけではもったいないので、

今日は頭の中にあったことを文にしようと思います。

まあ一度、文にしたことはあるんだけどね。

 

 

さてさて、皆さん。

「エモい」

って感情を抱いたことはありますか?

 

2016年の今年の新語に選ばれたこともあるこの言葉。

感情を意味する単語“emotion”を由来としているらしく、

元々は音楽ジャンルの一つである“Emo”の楽曲を形容していたようです。

 

なおEmoについて僕は詳しくないのですが、

正に感情を揺さぶるような、哀愁漂う音楽であるようです。

おススメのEmo情報をお待ちしております。

 

ここから派生して今では、
・心が強く揺さぶられていること

・上手く言葉では表現できない感情

・ノスタルジックで哀愁漂うあの感じ

など、の意味で広く使われるようになりました。

(Wikipedia情報)

 

ネットの海では「エモいって何?」だなんて、

調べたらいくらでも出てきます。

そこで今回は僕なりに「エモい」について考えたので、

今日はそれを書き記したいと思います。

 

 

まずは自分がどのようなときに

「エモい」と感じるかを振り返ってみました。

 

やはり代表格は「朝焼け」、「夕焼け」でしょう。

https://twitter.com/_after_carnival/status/787932654872121344?s=21

 

他にも、

https://twitter.com/_after_carnival/status/962568492292517893?s=21

こんな1風景にもエモさを感じていました。

 

これらをみていると

そこに強いメッセージ性はなくとも、

「なんとなく良い」と感じたものが

エモの正体かもしれない、と感じました。

 

 

ここからさらに深く掘り進めていきましょう。

ではこの「なんとなく良い」の正体って何でしょうか?

 

 

僕は

「相反する状態が共存している事に由来する感情」

なのではないかと思うのです。

無意識のうちに「対比」を感じているのだと思います。

 

 

例えば、朝焼け、夕焼けは

明るい物事が動き出す「日中」

暗い物事が静まる「夜」

が入れ替わる時間帯にみることができます。

 

同じ場所でこの2つは基本的に共存できません。

光がある状態とない状態ですから。

ただ「意識の上では」共存できるのではないでしょうか?

 

「ああ、さっきまで『明る』かったのにもう『夜』になっちゃう」

 

このような感じです。

特に朝焼け、夕焼けは意識して見ることが多いため、

より意識の中に「対比」が埋め込まれているのだと思います。

 

他に僕がエモさを感じた1風景にも

「人」と「自然」、「陸」と「空」

など対比を読み取れます。

 

 

この考え方はやはりどの「エモい」感情にも共通していそうです。

ノスタルジックになるのも、

「今」と「昔」という対比が見てとれます。

 

また音楽に関しても、詳しくはないのですが、

調の外にある音を使った

「ノンダイアトニックコード」

とやらを入れるとエモく聴こえがちらしいです。

(https://zussie-piano.com/non-diatonic-chords/)

 

ここにも

「法則に従ったもの」と「そこから外れたもの」

という対比がありそうです。

 

 

ここまで自分なりに「対比」を見つけてきましたが、

まだまだ感じた「エモい」の正体を掴めてないものがいっぱいあります。

 

この正体を突き詰めてみたら、

自分の中に眠る知らない何か

が引っ張ってこれるのではないかと、

エモい感情に浸っている今日この頃です。

第56話 しあわせって何だっけ?

タイトルだけ見ると、なんか病んでる人みたいですね。

拗らせてはいますが、病んでるつもりはありません。

ふと、明石家さんまさんのキッコーマンのCMを思いだしたのです。

「しあわせって何だっけ?ーー旨い醤油のある家さ」

 

さて、「しあわせ」って何なんでしょうか?

この問いに答えようとすると、

社会人の方に言われた言葉が思い起こされてしまいます。

「今まで幸せな恋愛をしてこなかったんちゃう?」

 

 

おかげさまで、私は今までに

女性の方と交際させていただいた事があります。

こればかりは僕だけの問題ではないので、具体的には言えませんが、

これだけは言えます。その時は僕は「しあわせ」だった、と。

 

この「しあわせ」って感覚はどこから来たのでしょうか?

そういえば、そこまで深く考えたことはありませんでした。

ただ漠然と、「しあわせ」という感覚を覚えていただけ。

今日はその正体を突き詰めてみようと思います。

 

 

とはいえ、実は「これじゃないかな?」という答えはあるのです。

その答えとは言ってしまえば「なんとも言えない多幸感」

僕はこれに似た感覚を最近覚えた記憶があります。

そう。それは僕が風俗に行った時の話です。

 

この時の多幸感は「人肌の温もりを感じた」事によるものでした。

この感覚を付き合っていた際にも感じていたとするならば、

たった一つの残酷な事実が浮上してしまいます。

それは至極単純な答えでした。

 

 

「人肌の温もりさえ感じることができれば、誰でも良かった」

 

 

多分これが、

「しあわせだけど、しあわせとは言い切れない恋愛」

になった本質的な答えではないでしょうか。

ではしあわせな恋愛って一体何なのでしょう?

 

だからと言って、僕はその相手の方が「好きですらなかった」訳ではありません。

「好き」でした。寧ろ没入しちゃってたと言っても過言ではありません。

ただ、その好きになるきっかけが、「その人でないとダメ」なのではなく、

単に交流があった、近くにいた。それだけだった気がします。

 

 

多分、恋愛としては、このようなきっかけでも、十分上手くいくと思います。

でも僕にはこのパターンは向いてなかったのです。

「多幸感を得るためなら相手は誰でも良い」

相手もどこかでそう思っているのではないか?と思ってしまっていたのです。

 

本当に失礼な話ですよね。

「男性は相手が自分のものだと分かったら、大切にしなくなる」

と言われたりしますが、

僕は「自分のものにしよう」と躍起になっていたのかもしれません。

 

 

思い返せば、今までの恋愛は「自分本位」すぎたような気もします。

相手からのサインを一切読もうとせず、ただ自分がサインを送り続ける、

正に独りよがりの恋愛だったのかなと思いました。

相手の反応を見てもいないのに、サインを送り続けても鬱陶しいだけです。

 

これから先、恋愛をする事になるかどうかは分かりませんが、

まずは「相手からのサインを読もう」としない限り、

「しあわせな恋愛」はできないのかもしれません。

ちゃんとサインが読み取れれば、相手がどう思っているかもわかるでしょう。

 

 

「しあわせな恋愛」とは、サインのキャッチボールと見つけたり。

 

 

ここまでご拝読ありがとうございました!!

コメントや感想等をお待ちしております!!

 

第55話 経済活動を停止、死んだのだ

人間には3大欲求というものがあります。

食欲、睡眠欲、そして、性欲です。

おかげさまで、前の2つは好きな時に好きな場所で

満たさせてもらっています。

 

ただ1番満たすのが難しいのが、最後の一つ。

性欲です。こればかりは、時間も場所も限られてしまいます。

何故これほどまでに、性欲を満たすのは難しいのでしょうか……?

まあ、『人間だもの』という他ありませんが。

 

 

そういう意味では、溜まっているもの同士

出会ってパパッと済ませることができたら、

結構良くないですか?!メイツ募集しています!!

しかし現実はそうはいかない。辛く厳しいですね。

 

まずは考慮しないといけないリスクが

多すぎるんですよね。

当然、望まぬ妊娠は避けるべきだし、

病気に関しても気をつけないといけない。

 

後は経済的な問題もありますよね。

3大欲求の中ではダントツに1回あたりにかかる金額が高い。

いや、リスクをガン無視したら最低限で止める事はできるかもしれませんが、

それでも食事ほどは安くならないでしょう。

 

特に場所ですよね。僕みたいな実家勢は場所がない。

いや、ない事はないんですけども。

まあそうなると然るべき場所にいく他ないですよね。

それか早く僕が下宿するかですね。下宿してぇ……

 

良く良く考えれば、場所にもよりますが、

然るべき場所もそこそこお値段がします。

風俗と比べた満足感は違うかもしれませんが、

同様にお金はかかってしまうものだなぁと実感しちゃいます。

 

 

じゃあ、さほどお金のない僕はどうすれば良いのでしょうか?

自分で慰めておけ!と言われたらそれでオシマイですが、

それで満足してたら、こんなブログ書いてませんよ!!

失礼いたしました。

 

まあこういう時にクズみたいな発想をしてしまえば、

割り切った関係の都合の良い相手が居たらなぁ

と思ってしまう訳です。絶賛募集中です!!

こんなこと書くからもっと機会が遠のいてしまうんだよなぁ……

 

とはいえ、こんなことはあるはずも無いので、

まずはアプリに頼ろうとしてしまっている訳ですが。

頼ったところで、少なくともまずは場所代は支払うと考えると、

最終、やっぱり自身の収入を増やすということしか考えられない訳ですよ。

 

 

じゃあどのようにして収入増やすのよ、って話です。

正直「バイト」以外に経験したことがないですが、

他にも投資や物品販売、YouTuberなどのクリエイターになる、など、

この世には色々な手法があると思われます。

 

今はそれぞれの職種で稼ぐのにどれだけ大変か、

という事は抜きにして、やっぱりまず思うのが、

 

「知識の仕入れ方が分からない」

 

なんですよね。

これは、受験勉強に使う知識との大きな違いだと思います。

極端な話、受験勉強の知識は正解がある程度決まっているので、

正解を知ることができればそれでOKなのです。

 

ただこういう稼ぎ方とかの話になると、

結構個人差が大きく出てしまって、

何が正解なのかが一意に定まらないんですよね。

「ようは試し」ではリスクが多すぎるので、行動も出来ず。

 

100%の正解は分からなくても、

極力自分の中で100%には近づけたいじゃないですか?

リスクを恐るな!とは言いますが、

全くリスクを考えてないのもそれはそれでおかしな話です。

 

 

以前、社会人の方と話していて思わされたのですが、

僕って「経済活動」に関する知識がなさすぎるんですよね。

表面的な知識もほぼほぼありません。

政治経済の授業でやったことなんて忘れてしまいました。

 

あっても

「確定申告」というものは知ってるけど、中身を知らない

と言ったような感じです。お粗末なものですね。

まあ社会人の方曰く、やってるうちに分かるそうですが。

 

 

とはいえ、知識がゼロなのも、今後の人生で損をしそうなので、

めちゃくちゃ知識を蓄えておきたいのです。

検索すれば出てくるのでしょうが、この情報過多の時代、

知識がゼロだと、取捨選択するのが難しいのです。壁が大きすぎる……

 

こういう時、知識の豊富な知人がいればなぁ、と思ったりもします。

その人の知識の正確性は一旦は置いておいて、

ある程度の勉強の指針が立つからです。

真似をしていちゃ超えられませんが、超えるまでにはまずは真似をしなくちゃね。

 

学校でこういう深いところまで勉強できたら良いんですけどね。

情報の取捨選択が下手なので、上手な方は是非とも

「経済活動の勉強の仕方」を教えてください。

税に関する話だけでなく、起業に必要な話でも大歓迎です。

 

 

とまあ不純な動機で、お金を稼ぐ方法や稼いだ時に必要なことを

知りたいと思うようになった訳ですが、

まあいつかは知っておくべきことのような気もします。

これとは別に都合の良い人も大募集中です。DMください。

 

 

こんな事を考える前に、

まずは自分の立ち上げたYouTubeチャンネルを動かさないとなぁ……

 

 

ここまでのご拝読ありがとうございました!!

コメント等お待ちしております!!

第54話 ここで(手を)出したら人生終わるナリ

前回、前々回と拗らせた投稿をし続けてきましたが、

漸く内容がタイトルに寄ってきましたね。

正に(お察しください)並の感想がページを埋め尽くしています。

いや、ここまで拗らせたなブログにするつもりは無かったんだけどなぁ…

 

 

今回は昨日に続き、

「後日経過」という事で書いてみようと思います。

ああ言った風俗レビューは行為そのものが当然重要なわけですが、

個人的に翌日どんな感情になったのかっていうのも気になるのです。

 

特に初体験のレビューとかだと、

その後は見る世界は変わるでしょうから、

どういう風に変わったのかも気になるのです。

逆に翌日には何も覚えてないというも、それはそれでアリなのです。

 

ということで、先ずは言い出しっぺの法則ということで、

今どんな感情なのかを、ここに洗いざらい書いてみようと思います。

恐らく、昨日の内容と被る部分も大いにあると思いますが、

ご容赦ください。宜しくお願いします。

 

 

『経験』という意味では、行く前に

「一度経験してしまえばお金を払えばできると分かるので、さほど価値を感じなくなる」

と言われていたのを思い出します。

回数に非常に固執してた節があるので、

(第52話 https://after-carnival.hatenablog.com/entry/2020/02/26/053513 を参照。)

これで変な拘りとかなくなれば良いなと思っていました。

 

行ってから1日経った今の感覚としては言われていた通りです。

昔ほど行為や経験自体を特別視しなくなった気がします。

しかしながら、価値が0になったかというと、そうでは無いのです。

不思議なものですね。

 

上手く言葉にするのは難しいのですが、

「手の届かない高級フレンチ」が「ちょっと贅沢したい時の外食」になった

というのが近いかもしれません。

これだと経験自体の価値が下がったような言い方ですが、

どちらかというと相対的な距離が縮まったと言った感覚です。

 

だからこそ、今まで以上に

「余裕ができたら行きたいな」

と思うようになったのかもしれません。

 

 

他の点では、今のところ変わった印象はないです。

もしかしたら、2回、3回と回数を重ねるたびに、

新たな発見があるのかもしれませんね。

 

 

 

 

ーーーーーー以下、爆弾発言あり。注意されたし。ーーーーーー

まず初めに、内容が結構酷いので先に謝罪させてください。

寧ろ、これ以降は懺悔です。

僕に対する印象を大きく損ねる可能性があるので、出来れば読まないでください。

 

 

さて、僕という生き物は欲深くて、

1回でも満たされうると、それを何度も得ようとする手段を考えがちです。

しかも、出来る限りコストを抑えて。

なんか、薬物みたいですね。

 

しかしながら、僕は考えるにしても安直な方法しか思い浮かばないので、

ふと思いついたのが第52話でいう、2、のお金のかからないパターンです。

(1、という方法もあったのですが、とっさに思いついたのはこっちでした。)

 

何はともあれ、ここで問題となるのは「出会い」です。

正直、今いる環境ではそれがありません。

自分から避けているのもあります。

 

この世の中というものは便利ですね。

スマホ片手に探せばどんな情報も手に入る。

そこで僕は興味本位で調べました。

 

 

こんな悩める男性に向けた「アプリ」があるじゃないかと。

 

 

僕はいつから頭の中が猿になってしまったのでしょうか?

いや、生まれた時からそうだったのでしょう。

調べながらにして、「ああ、僕は最低な人間だ。」と思いました。

でも好奇心という名の本能が勝り、その手を止めることはできませんでした。

 

 

「出会う」ためのアプリとして、よく聞くのは

「出会い系アプリ」と「マッチングアプリ」の2つでしょう。

正直なところ両者の違いなんてあるんか?ぐらいの認識ですが、

後者に関して言えば今では公共の至るところに広告も流れているぐらいです。

 

まあ気になってしまったのは前者ですよね。

なんか勝手なイメージですが、後者は真面目な出会いというか、

1、を目指すルートな印象があります。

 

とはいえ、「出会い系」って言えば、

かつては詐欺の代名詞だったぐらいですから、

正直、僕には良い印象はありません。多分周りもそうでしょう。

ですが、僕の良くないところが出てしまいました。

 

 

「ワンチャンあるんじゃね!w」

 

 

とはいえ、ここで即座に登録をしないのも僕です。

入念に色々なサイトを見て回りました。

今でもアプリには色々な種類があるようです。

 

どのアプリがオススメなのか、どう言った出会いがあったのか。

危険な業者やサクラの見分け方、出会いのコツ。

 

書いている内容はどこもほぼほぼ同じでした。

となると、後はもうどれを使うか決めるだけです。

しかし、ここで僕はお得意のチキン精神が。

後悔したくないから、最善の選択肢を選びたいのです。

 

この時僕は、とんでもない事実を思い出しました。

 

 

僕は「陰キャオタク」なのです。

 

 

Twitterに閉じこもってばかりいて、ゲームセンターに行くだけの学生。

こんな輩が、イケメンで面白い社会人の溢れてそうなアプリで勝てるのでしょうか?

答えは、当然いいえです。無謀じゃないですか?

 

でも、アプリの体験談に載ってがちなのが僕みたいな人です。

多分イケメンだったら、こんなアプリなんて使わなくても出会えるし、

アプリ使ってもちゃんとモテるから解説する必要もないですし。

 

しかし、かつてTwitterで話題となっていましたが、

悲しいかな、僕みたいな人は

お金を支払い続け、

アプリの運営費を賄い、

優良物件が売れるのを眺めているだけなのです。

なので、この体験談にはちょっと懐疑的なのです。

 

なら、ある程度はお金はかかるけど、ちゃんと『経験』できる風俗で良くね?

そういう心情が今、心を占めています。

 

でも、正直なところ、好奇心は抑えきれておりません。

「0.00…01%でも可能性あるんじゃね?」

「こんな自分に引っかかるような女性もいるんじゃね?」

と思っている自分もいるので、

まだ完全に諦めがついた訳ではありません。

 

なので、僕の言いたいことはたった一つです。

誰か、僕と道連れになってくれませんか?!

 

 

 

ここまでの長文、御拝読ありがとうございました!!

感想やコメント等お待ちしております!!