第56話 しあわせって何だっけ?

タイトルだけ見ると、なんか病んでる人みたいですね。

拗らせてはいますが、病んでるつもりはありません。

ふと、明石家さんまさんのキッコーマンのCMを思いだしたのです。

「しあわせって何だっけ?ーー旨い醤油のある家さ」

 

さて、「しあわせ」って何なんでしょうか?

この問いに答えようとすると、

社会人の方に言われた言葉が思い起こされてしまいます。

「今まで幸せな恋愛をしてこなかったんちゃう?」

 

 

おかげさまで、私は今までに

女性の方と交際させていただいた事があります。

こればかりは僕だけの問題ではないので、具体的には言えませんが、

これだけは言えます。その時は僕は「しあわせ」だった、と。

 

この「しあわせ」って感覚はどこから来たのでしょうか?

そういえば、そこまで深く考えたことはありませんでした。

ただ漠然と、「しあわせ」という感覚を覚えていただけ。

今日はその正体を突き詰めてみようと思います。

 

 

とはいえ、実は「これじゃないかな?」という答えはあるのです。

その答えとは言ってしまえば「なんとも言えない多幸感」

僕はこれに似た感覚を最近覚えた記憶があります。

そう。それは僕が風俗に行った時の話です。

 

この時の多幸感は「人肌の温もりを感じた」事によるものでした。

この感覚を付き合っていた際にも感じていたとするならば、

たった一つの残酷な事実が浮上してしまいます。

それは至極単純な答えでした。

 

 

「人肌の温もりさえ感じることができれば、誰でも良かった」

 

 

多分これが、

「しあわせだけど、しあわせとは言い切れない恋愛」

になった本質的な答えではないでしょうか。

ではしあわせな恋愛って一体何なのでしょう?

 

だからと言って、僕はその相手の方が「好きですらなかった」訳ではありません。

「好き」でした。寧ろ没入しちゃってたと言っても過言ではありません。

ただ、その好きになるきっかけが、「その人でないとダメ」なのではなく、

単に交流があった、近くにいた。それだけだった気がします。

 

 

多分、恋愛としては、このようなきっかけでも、十分上手くいくと思います。

でも僕にはこのパターンは向いてなかったのです。

「多幸感を得るためなら相手は誰でも良い」

相手もどこかでそう思っているのではないか?と思ってしまっていたのです。

 

本当に失礼な話ですよね。

「男性は相手が自分のものだと分かったら、大切にしなくなる」

と言われたりしますが、

僕は「自分のものにしよう」と躍起になっていたのかもしれません。

 

 

思い返せば、今までの恋愛は「自分本位」すぎたような気もします。

相手からのサインを一切読もうとせず、ただ自分がサインを送り続ける、

正に独りよがりの恋愛だったのかなと思いました。

相手の反応を見てもいないのに、サインを送り続けても鬱陶しいだけです。

 

これから先、恋愛をする事になるかどうかは分かりませんが、

まずは「相手からのサインを読もう」としない限り、

「しあわせな恋愛」はできないのかもしれません。

ちゃんとサインが読み取れれば、相手がどう思っているかもわかるでしょう。

 

 

「しあわせな恋愛」とは、サインのキャッチボールと見つけたり。

 

 

ここまでご拝読ありがとうございました!!

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