第5話 矯正してしまった天パと其を思い立った理由

まずはじめに、ご報告がございます。
なんと私、うまかいは、
天然パーマを卒業してしまいました。
縮毛矯正」を当ててしまいました。

22年間ずっと付き合ってきた天然パーマ。
あまりに癖も強かったのもあり、
その分「天然パーマ」に対する思い入れは人一倍強かったです。
いや、今でも「天然パーマ」は最高だと思っています。


さてみなさんは「天然パーマ」と聞いてどういう印象を持たれるでしょうか?
正直なところ、あまりいい印象は持たれてないのではないでしょうか?

多少自身の偏見もあるのは承知の上ですが、
自分が天然パーマであるなら未だしも、
そうでない人は「メガネ」と合わさっただけで、
どう考えても一つの答えに行き当たる人が多いと思います。

しかしながらこの印象も、知人友人となると変わってきて、
1種のイジる対象となり、また1種の目印ともなり、
それが原因なのかは知りませんが、
お陰様で「天然パーマ」はまさに「僕の武器」となりました。


とは言っても、僕はこの22年間ずっと感じていたことがあります。
どうもこの世には「天然パーマに対する隠れた差別」があるのではないかと。
それが良い方向に転ぶこともあれば、当然悪い方向に転ぶこともあります。
この差別はどうも
ストレート至上主義
とも言える何かに由来するものではないかと考えました。


ストレートの人とゴリゴリの天然パーマの人。
道を歩いていてどちらの人と多くすれ違うでしょうか?
ここでは、「ちょっとした癖っ毛」ぐらいの人は一旦無視するとして、
僕は圧倒的に前者だと思います。優性遺伝なのに、どうしてでしょう。

どうも自身が常日頃感じていたのは、
「僕、私は天然パーマだぞ!」
と天然パーマに自信を持っている人の少なさです。
身の回りの天然パーマの人もよくストレートパーマをかけています。

また最近では、ストレートをパーマにするのは
「パーマ」
というのに対し、その逆の行為のうち、天然パーマ由来なら
「縮毛『矯正』
と言われているのにも多少なりとも疑問を抱いていました。

「矯正」を辞書で調べてみました。
【矯正】 《名・ス他》欠点を直すこと。正常な状態に変え正すこと。
例:「歯並びを―する」
ん?欠点…?正常な状態に変える…?

縮毛は「欠点」で「異常」ということでしょうか。


今思えば、生まれてこの方、天然パーマの髪を伸ばし続けていたのは、
この「ストレート至上主義」を無意識のうちに感じ取っていて、
せめてもの抵抗だったのかもしれません。

しかしながらその抵抗も虚しく、
ある時、ストレートの人を見るたびに「劣等感」を感じ、
またその「劣等感」を感じる自分も嫌になりました。

「天然パーマの自分」の1番の理解者は他でもない「僕自身」だ

そう理解していたつもりの自分を裏切ったように思えたからです。
あの忌み嫌っていた「ストレート至上主義」に敗北宣言をしたことを意味します。


それ以来、ちょくちょくなんとなく陰鬱な気分になったり、
感情的になりやすくなったり、と若干気持ちの変化も現れ、
ある日の夜、突然その感情が爆発しました。
その時、色々な人から言われ続けたある言葉が頭をよぎりました。

「ストパー、当ててみたら?」

今までの僕であれば、これは単なる「挨拶」でした。
しかし、その時は超えるべき「壁」を提示されたように思えました。

振り返れば、髪の毛以外はパッとしない人生。
もう変えるには今しかないのではないか?

とは言っても、
「面倒なことはしたくない」、「先が見えないなら変えない」
と逃げに逃げ続けた人生。
自分でも変えないととは思いつつも、変わろうとはしませんでした。

「ストレートパーマ」を当てて変わった自分は、一体どうなっているのだろう。
当然、大きな不安はありました。
天然パーマでいることの方が楽だから、天然パーマのままでいいや。
当然、「天然パーマ」で抵抗を続けたい。

Twitterでのツイートを遡ってもらえば、その時の葛藤が今でも残っていると思います。
その葛藤についてきた1つのクソリプが、その葛藤を拭い去ってくれました。

そして私は心に決めました。
ここで壁から逃げると、これから先も逃げ続ける気がして。
そんな人生なんて終わらせてやるつもりでした。

「明日こそ、縮毛矯正を当ててやる。」

ただムキになってしまっただけ感も否めませんが、
翌朝、意を決して、美容室を予約しました。
そんなこんなで、僕の22年半もの天パ人生に一旦ピリオドを打つことになりました。


ここからはただの後日談とはなりますが、
正直、こんな僕でも実際に美容室に行けば不安なんて全くなく、
どちらかといえば、前向きな意味でどうなるのだろうというドキドキ感がありました。

そして、完全に変化した後は、新しい姿に違和感を覚えてはいたものの、
どこか晴れ晴れとした気分に落ち着いていたのは今でも覚えています。

お陰様で、色々な事に興味を持ち、
天パのままであれば嫌厭していたようなことも、
むしろやってみたいと思うようになった気がします。
そういう意味では多少なりとも、僕の人生は変わりつつあるのかなと思いました。

完全な生存バイアスではありますが、
僕としては「縮毛矯正」してよかったと思います。
「ストレート至上主義」に抵抗したがっていた僕ですが、
むしろ、僕こそ「ストレート至上主義」者だったのかもしれません。

しかしながら、天然パーマを捨て去った裏切り者とはいえ、
「天然パーマ」のイメージはもっと改善されるべきだという思いは変わりません。
「天然パーマ」の人がもっと「天然パーマやぞ!」と言えるような、
自分がもし「天然パーマ」に戻っても、より自信が持てるような、
そんな世の中に変えていければなと、微力ながら頑張りたいと思います。

そういう意味を込めて、この言葉で今回は締めたいと思います。
長文失礼しました。

「天然パーマに、光あれ。」